自分をいたわるということ

前回は食べられなくなる話-自分を痛めつける話をしましたが、今回は前向きに、自分をいたわることについて書きたいと思います。

自分を甘やかすことといたわることは似ているようで、やはり差異がある。いたわることで傷が癒え、回復して行くのに対し、甘やかした結果は必ずしも良いとは限らない、というかだいたい良くない。

 

自分の話をすると、わたしはまずストレスを溜め込むとすぐ体の不調となってあらわれ、それがなかなか治らない。頭痛、湿疹、胃痛、口内炎…胃痛は特に、毎食後シクシク痛むのでうつ伏せになって寝て、痛みが収まるのを待つしかなかった。

 

では一体何が自分をいたわることになるのか。

 

規則正しく良質な人・ものに囲まれた穏やかな暮らし。

ふと心に浮かべたのはこんな生活を送ること。

 

良質な人というのは語弊があるけれど、20歳も過ぎてくるとだいたい合う人合わない人というのが学歴や性格、バックグラウンドから分かれてくる。不必要に自分を好かない人と仲良くする必要はないし、自分が好きではない人に好意を振りまく必然性もない。

あたりさわりなくそういう人とはお付き合いをすればいい。それかだんだん疎遠になればいい。

 

良質なもの。これは労力のいることだけれど、本当に必要なものを厳選して身の回りに置くこと。

洋服の例でいえば、ショッピングモール(PARC〇など)を全フロアまわってみると様々な価格帯のブランドがあり、どこもたいていは似通ったデザインのものを季節ごとに販売していることがわかる。高ければよいとは限らない。実際に着てみたライン、素材、お手入れのしやすさ、持っている服との合わせやすさ、予算などを総合的に判断し、最終的には「これが絶対ほしい」という思いがあるかどうか自分に問う。そこで「いやこれは似たような服を実は持っているのでは」「さっきのお店のほうが高いけれど質も全然よい」「店員の態度が悪い」などマイナス要素があるようなら買ってはいけない。そのマイナス要素は購入後に消えることはないからだ。店員は関係ないようで重要である。気持ちよく買い物をすることからその服との関係は始まる。最初のスタートの時点で嫌な思いはしたくない。もっとも嫌な店員にあたることは、個人的には今までほとんどない。

自分が本当に納得できる買い物をするべきだ。たとえば。4900円のデニムと15000円のデニム。前者がワンシーズンでほつれてくる上にちょっと体に合わないとする。15000円のデニムはもちろん高いがラインは抜群にきれい。生地もしっかりしている。体形が変わらなければ、3年、5年と履けるだろう。それならば断然後者を選ぶべきなのである。ある意味これは未来への投資でもある。毎年同じようなデニムを探す手間や、処分するもったいなさなどを考えても、良質なものに囲まれる日々というのは決して金銭的な意味での贅沢ではないとおもう。

もちろんなんにでもお金をかければいいというものではない。年相応の恰好というのがある。若いうちからあまりにも高いものを身に着けることに私は賛成しかねる。

逆に言うと多少の品質の差異は若さで補える。

だから異なる価格帯であっても、自分で納得して買ったものを上手に組み合わせることが大事だろうというのが結論である。

高いものばかり自分に買い与えるのは甘やかしである。

反対に安いものばかり身に着けていると、鏡をはっと見たときに愕然とするぱっとしなさがあったりする。その匙加減は人それぞれだろうけれど。

 

そして規則正しい生活。

たとえ良質な人やモノに囲まれていたとしても、規則正しい生活なしには自分をいたわっているとは言えない。

スマホばかり眺めない。本も読む。たまには遠出もする。きちんと体を動かし、休ませる。朝起きて夜眠る。食べ過ぎず腹八分目を目指す。

昨年は体をちょっと壊して、廃人のようになっていた私。生活環境が変わり体調はぐんぐん回復し、やはり健康なくしてはなにもできないのだなと悟った。

 

異常が私の考える自分をいたわるということ。

生きていくのってそんなに簡単じゃないけど、いたわりながら毎日を楽しみたいと切実に思う。