食べられないということ

私は数年前拒食症を患っていましたーと書くとなんだか仰々しいというか、大げさな感じがします。でもあの日々は間違いなく病気だったと思います。

もともと細かったのですが、高校に入って運動を始めたら5キロくらい太りました。

その前からも顔が丸いとか、太ったとか、周りから言われるようになってはいましたが、さすがに5キロも太ると服がきつくなったりするので、危機感を覚えました。

それまでダイエットらしいことは何一つやってこなかったので、その付けが回ってきたんだと自分を責めました。勉強も、それなりに大変だったので、それも全部「自分がだらしないからいけない」と思いました。風邪をきっかけに食欲が落ち、そのまま食べる量を減らし続け、3か月ほどであっという間に10キロは軽く落ち、その後もどんどんやせ細っていきました。

細くなった手足、何を着ても似合う体系に満足していたのが、だんだんそれが周囲から奇異の目で見られるほどまでに痩せていって、心の中でやばいと思っても、もう歯止めが利かなくなっていきました。等加速度運動だな。と心の中でいつも思っていました。斜面をボールが下っていくとき、速さもどんどん上がっていきますよね。私はそのボールでした。でもその行き着く先が死だということは、ぎりぎりにならないとわからなかった。

いつも心の中は哀しく虚しかった。私は丸顔なので、顔はそこまで痩せないんです。だから周りもすぐには気づかなくて、「痩せたな、大丈夫か?」と言われたとき、にっこりしながら「大丈夫ですよ」と言いながら、心の中では「もうずっと苦しんでいるのに、今更気づいたの?」と悲鳴を上げていました。

人から何を言われるのも苦痛なのです。私はほかの人たちのことはわかりませんが、自分のことをふりかえると、明らかに頭がおかしくなっていた気がします。外見のことを言われるのは苦痛でしかありませんでした。ほんとうは、顔が丸いとか、太ったとかいわれるたびに傷ついていたけど、それを全然気にしないふりをしていたのがいけなかったのでしょう。

自分に過度な食事制限を課すことで、他人よりも優れていた気持ちになっていました。何を言われても、この苦しみと達成感は、好きなものを好きなだけ貪る人間にはわからないと思ったし、その人たちの無神経な言葉に耳を傾ける必要はないと、決めつけていました。

結局立ち直るには自分で気づくしかありませんでした。このままだと本当に「人間らしい」生活が送れなくなる。鏡に映った頬がこけ、やせ細った脚のいたいたしい姿は自分ですら目をそむけたくなるほどでした。休みの日はほとんどベッドで横たわる日々が続き、「今日は何を、私は私に食べさせてあげられるんだろう」-そんな狂った考えが、朝起きるとまず浮かびます。私は思ったほど自分を甘やかしてあげられません。だから、苦しみはずっと続く。

立ち直るのには時間がかかりました。まず自分がここまで自分の体を痛みつけたことを知ること。そして母親がそれにどれほど心を痛めたか、思いやること。体が増える食事量についていけず、不調をきたすこと。全部、全部にちょっとずつ慣れて回復しなければなりませんでした。そして同時に受験を迎えたのです。間に合って、よかったと思います。結局必死で入った大学では、それなりに太った体型で数年間を過ごす羽目になりました。いまになってやっと元に戻ってきました。

 

私はひとに体型や外見で心無いことばをぶつけることにいまだに抵抗を感じます。

それは本人も大して気にしないことかもしれないし、軽く受け流せる人もたくさんいるでしょう。そうしていないとやっていけないのが世の中だとも、わかっています。

でもわたしは、せめて人にされて嫌なことはわたしはしたくないし、言葉がどんなに人を傷つけうるか、身をもって知っています。体型とか食事の仕方は人それぞれ自由だし、その人の生き方なのだから、他人が口出しすることではないと思うのです。

もしたくさん食べられない人がいて健康に害を及ぼすほどなら、もちろん手を差し伸べてあげるのは大事です。でもそれは思ったよりも根深いきっかけがあるかもしれません。そのきっかけを作るのは意外と何気ない一言だったりするのです。

女性と男性で比べたら、女性のほうが見た目を重視されるのではないかと思います。わたしは思春期に体が変化し、例えばスカートの中を盗撮されるといった経験から男性の「そういう目」に初めてさらされて、大人になることへの強い嫌悪感を覚えました。「そういう目」にさらされるのがきっと世の中に言う「女子(じょし)」で、どこでもしたたかに生きなくてはいけないのかもしれません。

でも私は疲れ切ったのです。高校の段階で。自分のせいですよね。普通の健康な高校生なら躓かない石ころにけっつまづいて骨まで折って、ボロボロになったあわれで無様な少女だった。でもその経験があるから、何か物事を斜めから見るようになりました。

カッとすることもありますが、病気を経てあえて当事者目線を避けることも学びました。悪いことばかりではありませんでした。

でも、こんな思いはするべきではなかったと、確信を持って言えます。わたしがあんなに苦しんだ時間は、無駄ではないけれど、勿体無いことをしたなと今になって思います。

今回は重い話になりました。わたしの中でようやく客観視できる様になった出来事です。