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国際婦人デーで思ったこと

3月8日は国際婦人デーでしたね。

現在ロシアにおりますが、国際婦人デーは日本とは違ってビッグイベント。

いろいろ思ったことがあるので書き綴りたいと思います。

国際婦人デー。カップルの色めき立つ日。女性は男性からプレゼントをもらい、ロマンチックにお祝い。周りもみなネイルサロンの予約をしたり、大忙しの模様だった。

化粧品を売るお店はセールでかなりの値下げで男性の負担を減らしたり。

当日わたしは美術館に行き、帰りがけに立ち寄った店で女性店員から、"国際婦人デーおめでとう"と薔薇を渡された。思いがけず嬉しかった。片手に薔薇を一輪そっとたずさえて歩くのは気分が良かった。たとえわたしにこの日お花をくれる"決まった人"がいなくても、惨めな気持ちにはならないし。

大通りを歩いていたら前方から女性たちの集団が。"私たちはみな姉妹!"とコールしながら進んで来る。警察が囲み、ただならぬ雰囲気。フェミニストの集団だったようだ。せっかく女性であることをお祝いしてもらえる日にどうして文句言うんだろうとその時は思った。彼女たちの趣旨も、家に帰ってニュースで見たけど、よく理解できなかった。彼女たちの何人かは拘束されたようだった。

ロシアは小規模だが男性の日もあり、女性は恋人の男性をお祝いする。平等でしょう。ただ少し思ったのは、3月8日は恋人のいない女性にとっては肩身がせまい。精いっぱいおしゃれして、花束を抱えて笑みを浮かべる女性、それを嬉しそうに眺める男性。これがこの国では国際婦人デーの正しい過ごし方なのだ。その枠外のわたしたちは、女性としてお祝いしてもらえない…一番祝って欲しい人がそもそもいないから。もっとも女性同士でもおめでとうと言い合ったりはするが。

もちろん誰もがパートナーがいるわけでもなし、映画館からは女の子のグループや仲良しおばあちゃんたちが出てくるのも見かけた。せっかくの休日、楽しく過ごしたいものである。

 

インポートランジェリーの話ー2

今回は私が買ったことのあるインポートランジェリーのブランドの話をしたいと思います。予算もかなーり限られていてそこまで多いラインナップではありませんが実際に購入したものに限って、お話しします。

No.1 Aubade

フランスのランジェリーブランド。インポートブラ第一号はここのものから。どきどきして試着をさせてもらって・・・かなり当時は体重も落ちたのもあって、合わないブラをつけていて店員さんに軽く説教(笑)もされ、反省したのだった。

最初はレースブラの心もとなさが不安で、どうつけたらいいかもよくわからなかったけれど、コツがわかると本当に美しいラインが生まれてうっとりする。

Aubadeのブラは値が張るけれどそれだけの価値はあると断言できる。芸術的なまでの美しさ、繊細さ。Aubadeはアンダーにゆとりのあるブランドなので、65の私は合うものを見つけるのにいつも苦労するけれど、ぴったりなサイズがあるデザインのものを試着したときの喜びはひとしお。定価で上下はとても買えないお値段だけど、いつかはぜひ。。。百貨店で購入。

オーバドゥ日本公式サイト Aubade JAPAN

 

No.2 L'agent by agent provocateur

Agent provocateurというイギリスのランジェリーブランドのセカンドライン。ファーストラインよりは廉価だが、デザインが日本にはないかわいくてセクシーなものが多く、手の届きやすい価格帯ということもあってお気に入りのブランド。アンダーもちょうどよい大きさで買い物がしやすい。海外のショッピングセンター、および日本のセレクトショップで購入。

 

No.3 Le petit trou

ポーランドの新鋭ブランド。ブラックを基調としたメッシュのランジェリーがメイン。シンプルな中にさりげないキュートさを秘めたおしゃれなデザイン。思いっきりかわいいピンクのリボンがついているのでもなく、さりげないブラック一辺倒で勝負する潔さが心地いい。購入時に箱に入っているのも特別感があっていい。体を包み込む大切なものという感じが伝わってくる。HPもシンプルながらハイセンスなのでぜひご覧あれ。ランジェリー界的には東欧が今熱いらしいと小耳にはさんだことがあるが、このブランドは大注目中。セレクトショップで購入。

Le Petit Trou

 

No.4 Gossard

イギリスのブランド。ロゴが太字で、なんとなく関西弁のブランドというイメージが勝手にある(いろいろ失礼)。繊細さというよりは大胆さを売りにしていて、頼れる姐さん的存在。セールでとんでもなく安くなることも。背中の留め具から延びるストラップが独特のデザインになっているものもあり、かわいい。普段使いのシンプルなものから花柄やレースまで豊富なラインナップ。セレクトショップで購入。

Official Gossard™ Online Store | Shop direct from the luxury British lingerie brand.

 

No.5 Cosabella

イタリアのブランド。日本にはないカラフルな色使いが魅力。価格帯も手の届きやすい範囲。PAUL&JOEとのコラボランジェリーもあり、要注目。ここのレースブラが繊細で大好き。最初にインポートランジェリーを試すのなら、このブランドが手に入りやすくておすすめかもしれない。セレクトショップで購入。

Cosabella – Luxury Lingerie, Bralettes, Thongs

とりあえず、以上になります。

ナンバリングに特に意味はありません。試着だけしたのならもっとたくさんありますが、上記の5ブランドでしょうか・・・記憶に良く残っていて今でもよくつけるのは。

購入して一年以上たっていますが、へたってきたりといったことは今までないです。もちろん、手洗いです、ちなみに!

 

お肌のお手入れの話

今回はお肌のお手入れについて。

これまでの肌の変化や理想的なお手入れなどを書き綴っていきます。

中学生のころ、おでこにひどいニキビができていた。環境が変わったストレスもあり、一向に良くなる気配はなく、皮膚科や様々な洗顔料を試したけれど、結局ニキビには3年間ずっと悩まされ続けた。高校は屋外競技の運動部に入り、真っ黒に日焼けした。正直この時期の日焼けがいつ肌に現れるのかおそろしい。運動部は途中で退部し、受験のころには真っ白になっていた。日焼けが落ち着くのと同じころ、肌荒れも徐々に減っていった。

大学に入ってからは、肌のトラブルはほとんどなくなっていた。ただなぜかクレンジングのあとすぐに乳液を付けるというかなりずぼらなお手入れで満足していて、完全に理想の状態には程遠かった。

それと、肉を食べなくなって、肌の脂っぽさは本当になくなった。ただこれは別に美肌のためでも、ベジタリアンを目指したくて、とか痩せたくて、という目的でもなく、単に肉への食欲がまったくなくなったためで、だれにでも勧める気はない。肉が美味しかったころの記憶もあるし、好きな食べ物は我慢しないほうがストレスにならないので・・・

気を付けているのは、化粧をしたまま眠らないことと毎日日焼け止めを付けること。基本的にはそのくらいである。ただ、使っている化粧品が市販されていないものなので、その会社が倒産したらスキンケアはどうなってしまうのかという不安が常にあった。

一年ほど前から化粧水を手作りするようになった。使うものはグリセリン、ラベンダーウォーター、ラベンダーのエッセンシャルオイルのみ。材料や容器などはすべて「生活の木」で購入できる。真冬はさすがに乾燥するので乳液も使うが、それ以外の季節はこれだけで充分、まったくトラブルもなく、透明感のあるつや肌がキープできる。何より安上がりで安全なのが魅力である。

化粧品は本当に難しい。一番の懸念材料は、保存料などの添加物。中には発がん性が疑われるものも使われていたりする。プチプラ、国内ブランド、外資系、オーガニックコスメとおもに4択だと私はとらえているけれど、何しろ肌が弱いので市販のものをどんどん試す勇気もない。それとパックは肌が赤く荒れるので使えない。

ただシャドウは、少し冒険しても何も起きないので、YSLなどを楽しんだりもする。

最近はコスメキッチンなどで気軽にオーガニックコスメに触れることができるようになったので、ハンドクリームや整髪料などはそこで見たりすることもある。

肌は本当に弱いが、今のところ大きなトラブルもない。

ストレスフリーな生活を心がけているせいかもしれない。ただ冬場の乾燥は思ったよりも堪えるようになってきたので、保湿には気を付けたいと思う。

完全に自分用のまとめになってしまいましたが、最近の私のスキンケアはこんな感じです。あまり参考にはならないかもしれませんが、、、なったらうれしいです。

 

自分をいたわるということ

前回は食べられなくなる話-自分を痛めつける話をしましたが、今回は前向きに、自分をいたわることについて書きたいと思います。

自分を甘やかすことといたわることは似ているようで、やはり差異がある。いたわることで傷が癒え、回復して行くのに対し、甘やかした結果は必ずしも良いとは限らない、というかだいたい良くない。

 

自分の話をすると、わたしはまずストレスを溜め込むとすぐ体の不調となってあらわれ、それがなかなか治らない。頭痛、湿疹、胃痛、口内炎…胃痛は特に、毎食後シクシク痛むのでうつ伏せになって寝て、痛みが収まるのを待つしかなかった。

 

では一体何が自分をいたわることになるのか。

 

規則正しく良質な人・ものに囲まれた穏やかな暮らし。

ふと心に浮かべたのはこんな生活を送ること。

 

良質な人というのは語弊があるけれど、20歳も過ぎてくるとだいたい合う人合わない人というのが学歴や性格、バックグラウンドから分かれてくる。不必要に自分を好かない人と仲良くする必要はないし、自分が好きではない人に好意を振りまく必然性もない。

あたりさわりなくそういう人とはお付き合いをすればいい。それかだんだん疎遠になればいい。

 

良質なもの。これは労力のいることだけれど、本当に必要なものを厳選して身の回りに置くこと。

洋服の例でいえば、ショッピングモール(PARC〇など)を全フロアまわってみると様々な価格帯のブランドがあり、どこもたいていは似通ったデザインのものを季節ごとに販売していることがわかる。高ければよいとは限らない。実際に着てみたライン、素材、お手入れのしやすさ、持っている服との合わせやすさ、予算などを総合的に判断し、最終的には「これが絶対ほしい」という思いがあるかどうか自分に問う。そこで「いやこれは似たような服を実は持っているのでは」「さっきのお店のほうが高いけれど質も全然よい」「店員の態度が悪い」などマイナス要素があるようなら買ってはいけない。そのマイナス要素は購入後に消えることはないからだ。店員は関係ないようで重要である。気持ちよく買い物をすることからその服との関係は始まる。最初のスタートの時点で嫌な思いはしたくない。もっとも嫌な店員にあたることは、個人的には今までほとんどない。

自分が本当に納得できる買い物をするべきだ。たとえば。4900円のデニムと15000円のデニム。前者がワンシーズンでほつれてくる上にちょっと体に合わないとする。15000円のデニムはもちろん高いがラインは抜群にきれい。生地もしっかりしている。体形が変わらなければ、3年、5年と履けるだろう。それならば断然後者を選ぶべきなのである。ある意味これは未来への投資でもある。毎年同じようなデニムを探す手間や、処分するもったいなさなどを考えても、良質なものに囲まれる日々というのは決して金銭的な意味での贅沢ではないとおもう。

もちろんなんにでもお金をかければいいというものではない。年相応の恰好というのがある。若いうちからあまりにも高いものを身に着けることに私は賛成しかねる。

逆に言うと多少の品質の差異は若さで補える。

だから異なる価格帯であっても、自分で納得して買ったものを上手に組み合わせることが大事だろうというのが結論である。

高いものばかり自分に買い与えるのは甘やかしである。

反対に安いものばかり身に着けていると、鏡をはっと見たときに愕然とするぱっとしなさがあったりする。その匙加減は人それぞれだろうけれど。

 

そして規則正しい生活。

たとえ良質な人やモノに囲まれていたとしても、規則正しい生活なしには自分をいたわっているとは言えない。

スマホばかり眺めない。本も読む。たまには遠出もする。きちんと体を動かし、休ませる。朝起きて夜眠る。食べ過ぎず腹八分目を目指す。

昨年は体をちょっと壊して、廃人のようになっていた私。生活環境が変わり体調はぐんぐん回復し、やはり健康なくしてはなにもできないのだなと悟った。

 

異常が私の考える自分をいたわるということ。

生きていくのってそんなに簡単じゃないけど、いたわりながら毎日を楽しみたいと切実に思う。 

インポートのランジェリーの話-1

女性ってなんでお金がかかる生き物なんでしょうね!化粧品、洋服、ヘアーカット、エステ…と枚挙にいとまがありませんが、わたしはランジェリーの魅力にどっぷりはまってしまったのです。

もちろん、わたしには自由になるお金もたくさんある訳ではない。ただ下着は合ったものをつけることが大事、というのは小恥ずかしいジュニアブラ時代から言い聞かされて育った。
髪型と靴が綺麗だと印象ががらりと変わるが、健康面も考えると、靴と下着は非常に大切なファクターだと思う。きつい靴に足を押し込めた世代がどれほど外反母趾に苦しんでいるか、わたしは祖母の姿に垣間見た。

さてランジェリー。もともと日本ブランドをつけてきたので、自然とその流れで体型が変わるたびに買っていた。ブラジャーの形はもちろん、色で全然印象がかわることは、いろいろな洋服を試すよりも、ひょっとしたら効果が大きいのではないかというほどである。裸の体を包み込むランジェリーは、素の自分に一番近い、服というよりはもはや体の一部なのである。
ことの始まりはランジェリークだった。インポート風の下着ということで可愛さに魅力され、そのうちインポートの下着そのものに興味を持つようになった。

最初はデパートのセール。フランスの老舗ブランドAubadeのレースブラは魔物であった。持って支えてナンボ!な日本の真面目なブラももちろん好きだが、このフランス製のレースブラは、「自然なライン、どう?」と語りかけるような色気がある。アンダーのしっかりした枠でバージスラインを支え、レースで包み込むタイプなので、心もとなさはあるのだが、きちんとつければ本当に美しいラインがあらわれるのである。
そのときは、セールも始まって数日が経っていたので、店員さんがしっかり見てくれた。それまでかなり忙しい日々が続き、髪もボサボサでメイクも適当、ブラもつけ方が間違っていた。肌についたブラの線を指摘され、今から考えれば恥ずかしいけれど、そのときは恥ずかしいとおもう余裕すらなかった。

いい下着をきちんとつけていると気分がいい。体のラインも気にするようになるし、丁寧に生活することの大切さを意識するようになる。

そのうち、都内のセレクトショップに足を運ぶようになる。デパートほどの品数はないが、ゆったりした時間が流れ、心ゆくまで試着を楽しめる。そしてアンダーなどサイズが合わないときお直しをしてもらえる。

ただやっぱりレギュラーメンバーを全部インポートで揃えるのは無理がある。個人的に好きなのはChut!という日本のメーカーで、良心的な価格でインポートのようなオシャレな下着をつくっている。

Aubadeはアンダーがわりとゆるめなので、たくさん試着して合いそうなものを選ぶしかない。それかお直しするか。
年に2度のセールで買うのが一番お得で、そのときにアンダーの合うものを購入する、というのが今のところわたしの最大の贅沢である。
こんなところでしょうか。こんな贅沢なこと、ほかにあるかしら…。
わたしにできる努力は、丁寧に洗ってできるだけ長持ちさせること、そして体型をできるだけキープすること。

次回は、インポートランジェリーのブランドについて書きたいと思います。

香水の話-4

香水の話-4

 
3からだいぶ間が空いてしまいましたが、最近の香水の話をしたいと思います。
わたしはだいたいフローラル系の香りが好みであまりムワッとする香りやソーダのような香りは頭痛がする。
 
話はそれるが、書きそびれていた香水の話がある。GUCCIのFlora by GUCCI Georgeous Gardeniaである。ヨーロッパに住んでいた時使っていたが、帰国後香りのキツさにびっくりした。購入時はわたしの本来の香りにもよく馴染んで、かつささやかな自己主張のある香りで気に入って買って、使いきるのもかなり早かった覚えがある。やはり日本とヨーロッパでは気候や人間がまるで違うのだ。そして香水の効果も。寒く灰色の冬、Flora by GUCCIの香りは日常に春の華やぎを、確かにもたらしてくれていた。
 
 
最近はアロマにはまるようになり、といってもごく初歩的な段階なのだが、化粧水や虫除けスプレーを手作りしたり、PMS緩和のためにオイル(ホホバオイル+ヴァーベナのエッセンシャルオイル)でマッサージしたりするようになった。それにつれてより自然な、ささやかな香りに惹かれるようになり、Jo Maloneに手を出したのである。
 
Jo Maloneの直営店は入るのに勇気が必要だったが、店員さんも優しく気苦労は杞憂であった。事前知識も何もない中、全種類を試しながら直感に問いかける。正直、思ったよりもツンとしたアルコールっぽい匂いがして、大丈夫かなぁと心配になるほどだったのだが、迷いに迷った末、ネクタリン ブロッサム&ハニーコロンを選んだ。
 
 
大正解で、小さな30mlのボトルよりも大きい100mlの方が得なのだが最初なので小さい方を選んだことを、若干後悔するほどだった。
つけていて背伸びをしなくていい香り。自然体でいる自分をすんなり受け入れてくれる。非常に個人的な感想だが、子供の頃、とっても美味しいジューシーな木の実を想像しながら友達と遊んだことがあったが、そんな香り。たまに、ジュースとかお茶とかでその香りを見つけると幸せな気持ちになる。…桃だったのだろうか。
 
香水はほっておくと香りが飛ぶが、わたしは鼻が弱いのでじゃばじゃばつけるとクシャミが止まらなくなる。さらに、たまにつけることを平気で忘れる。なので、今のところは手持ちの香水を使い切ることを目標にしている。もちろん、ルタンスのベルリンから来た少女と鉄の処女は大好きな香水で、手元に置いておきたい気持ちやまやまに、何度も値段とにらめっこしながら考え込んでしまうのだが… 
 
 
今この時を思い出させる香りは、何がいいかな、ということは常に考えるようにしている。香りは思っている以上に記憶に強く結びついてしまうから。何事もわたしは保守に走る性格で、まだ20代半ばにしてこれはまずいのではないかと常日頃から思っている。
香水にしても、もっと色々試したい気持ちもある。もっともあまり贅沢もできないのだけど。でも香りを纏うことは、ずっと楽しみたい。
これで一通り、これまでの香水遍歴は辿ったかなと思います。結構書くのが楽しかったので、また機会があったら更新したいです。

食べられないということ

私は数年前拒食症を患っていましたーと書くとなんだか仰々しいというか、大げさな感じがします。でもあの日々は間違いなく病気だったと思います。

もともと細かったのですが、高校に入って運動を始めたら5キロくらい太りました。

その前からも顔が丸いとか、太ったとか、周りから言われるようになってはいましたが、さすがに5キロも太ると服がきつくなったりするので、危機感を覚えました。

それまでダイエットらしいことは何一つやってこなかったので、その付けが回ってきたんだと自分を責めました。勉強も、それなりに大変だったので、それも全部「自分がだらしないからいけない」と思いました。風邪をきっかけに食欲が落ち、そのまま食べる量を減らし続け、3か月ほどであっという間に10キロは軽く落ち、その後もどんどんやせ細っていきました。

細くなった手足、何を着ても似合う体系に満足していたのが、だんだんそれが周囲から奇異の目で見られるほどまでに痩せていって、心の中でやばいと思っても、もう歯止めが利かなくなっていきました。等加速度運動だな。と心の中でいつも思っていました。斜面をボールが下っていくとき、速さもどんどん上がっていきますよね。私はそのボールでした。でもその行き着く先が死だということは、ぎりぎりにならないとわからなかった。

いつも心の中は哀しく虚しかった。私は丸顔なので、顔はそこまで痩せないんです。だから周りもすぐには気づかなくて、「痩せたな、大丈夫か?」と言われたとき、にっこりしながら「大丈夫ですよ」と言いながら、心の中では「もうずっと苦しんでいるのに、今更気づいたの?」と悲鳴を上げていました。

人から何を言われるのも苦痛なのです。私はほかの人たちのことはわかりませんが、自分のことをふりかえると、明らかに頭がおかしくなっていた気がします。外見のことを言われるのは苦痛でしかありませんでした。ほんとうは、顔が丸いとか、太ったとかいわれるたびに傷ついていたけど、それを全然気にしないふりをしていたのがいけなかったのでしょう。

自分に過度な食事制限を課すことで、他人よりも優れていた気持ちになっていました。何を言われても、この苦しみと達成感は、好きなものを好きなだけ貪る人間にはわからないと思ったし、その人たちの無神経な言葉に耳を傾ける必要はないと、決めつけていました。

結局立ち直るには自分で気づくしかありませんでした。このままだと本当に「人間らしい」生活が送れなくなる。鏡に映った頬がこけ、やせ細った脚のいたいたしい姿は自分ですら目をそむけたくなるほどでした。休みの日はほとんどベッドで横たわる日々が続き、「今日は何を、私は私に食べさせてあげられるんだろう」-そんな狂った考えが、朝起きるとまず浮かびます。私は思ったほど自分を甘やかしてあげられません。だから、苦しみはずっと続く。

立ち直るのには時間がかかりました。まず自分がここまで自分の体を痛みつけたことを知ること。そして母親がそれにどれほど心を痛めたか、思いやること。体が増える食事量についていけず、不調をきたすこと。全部、全部にちょっとずつ慣れて回復しなければなりませんでした。そして同時に受験を迎えたのです。間に合って、よかったと思います。結局必死で入った大学では、それなりに太った体型で数年間を過ごす羽目になりました。いまになってやっと元に戻ってきました。

 

私はひとに体型や外見で心無いことばをぶつけることにいまだに抵抗を感じます。

それは本人も大して気にしないことかもしれないし、軽く受け流せる人もたくさんいるでしょう。そうしていないとやっていけないのが世の中だとも、わかっています。

でもわたしは、せめて人にされて嫌なことはわたしはしたくないし、言葉がどんなに人を傷つけうるか、身をもって知っています。体型とか食事の仕方は人それぞれ自由だし、その人の生き方なのだから、他人が口出しすることではないと思うのです。

もしたくさん食べられない人がいて健康に害を及ぼすほどなら、もちろん手を差し伸べてあげるのは大事です。でもそれは思ったよりも根深いきっかけがあるかもしれません。そのきっかけを作るのは意外と何気ない一言だったりするのです。

女性と男性で比べたら、女性のほうが見た目を重視されるのではないかと思います。わたしは思春期に体が変化し、例えばスカートの中を盗撮されるといった経験から男性の「そういう目」に初めてさらされて、大人になることへの強い嫌悪感を覚えました。「そういう目」にさらされるのがきっと世の中に言う「女子(じょし)」で、どこでもしたたかに生きなくてはいけないのかもしれません。

でも私は疲れ切ったのです。高校の段階で。自分のせいですよね。普通の健康な高校生なら躓かない石ころにけっつまづいて骨まで折って、ボロボロになったあわれで無様な少女だった。でもその経験があるから、何か物事を斜めから見るようになりました。

カッとすることもありますが、病気を経てあえて当事者目線を避けることも学びました。悪いことばかりではありませんでした。

でも、こんな思いはするべきではなかったと、確信を持って言えます。わたしがあんなに苦しんだ時間は、無駄ではないけれど、勿体無いことをしたなと今になって思います。

今回は重い話になりました。わたしの中でようやく客観視できる様になった出来事です。